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柳家小さん (3代目) : ミニ英和和英辞書
柳家小さん (3代目)[やなぎや こさん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [やなぎ]
 【名詞】 1. willow 2. slim 
: [いえ, け]
  1. (suf) house 2. family 
小さ : [ちいさ]
  1. (adj-na) small 2. little 3. tiny
: [よ, しろ]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 
: [め, もく]
 【名詞】 1. (1) item 2. division 3. class 4. (2) piece (in Go)

柳家小さん (3代目) : ウィキペディア日本語版
柳家小さん (3代目)[やなぎや こさん]

3代目柳家 小さん(やなぎや こさん、安政4年8月3日1857年9月20日) - 昭和5年(1930年11月29日)は落語家。本名は豊嶋銀之助。生家は一橋家家臣の家である。
== 来歴 ==
一橋家家臣の家に生まれ、幼いころから林逸斎の漢学や洋学校で学問を習ったがあまりにも没頭し労症を心配した母が富本節をやっていたので習わせるようになる。声が美声とか粋などともてはやされ唄のほうに興味・関心が行くようになり生家も勘当され本所横綱の袋物屋に預けられる、しかしそこの近所にもうた沢の稽古場があったので足しげく通うようになる。16歳で勘当を許され家督を相続、私財を譲り受け麹町町六丁目に煙草屋を開業した。しかし稽古屋通いは収まらず常磐津初代常磐津林中に正式に弟子入りした家寿太夫から和國太夫を名乗るが、旅回りの途中に初代土橋亭里う馬の門下になり、2代目土橋亭志ん馬が喉を痛め声が出ないので代演で高座に上がる事になる。高座で軽い小噺の後に常磐津を語り最後はたっぷりと人情噺を語って評判になった。時には大ネタの「いろは日蓮記」「仮名手本忠臣蔵」を通しで語ることもあった。
帰京後の1882年(ないし1883年)に初代談洲楼燕枝の門下となり柳亭燕賀となる。1883年頃に3代目春風亭柳枝に可愛がられた為に柳亭燕花を名乗る。その後、師匠柳枝の前名、燕路を名乗らないかと薦められたが、柳枝の弟子で2代目燕路の弟子たちの反対で立ち消え。そのごたごたで廃業を余儀なくされた。諦めきれずに1886年(ないし1887年)に4代目都々一坊扇歌一門で噺家に復帰し都川歌太郎と名乗ったが、継子扱いだったので見かねた2代目禽語楼小さんが引き取り1892年6月に初代柳家小三治(はじめは小さん次)襲名し真打昇進。その後は人気も上がって出世し、師匠小さんが1895年頃から病気がちになり、3月日本橋木原亭で隠居名柳家禽語楼を名乗ったと同時に小さんの名を譲られ、同年3月に3代目襲名。
1905年には「第一次落語研究会」の発起人に。
得意ネタは上方落語ネタを江戸落語に移植した演目が多い。特に4代目桂文吾から口伝された「らくだ」が有名である。他にも「碁泥」・「にらみ返し」「天災」「かぼちゃ屋」「猫久」「粗忽の釘」「青菜」「うどんや」などがある。特にお酒の入る酔っ払い噺は得意としたが自身は一滴もお酒を飲めなかった。弟子は他の噺家に飲ませ観察し研究・観察したという。明治末期から引退する昭和初期までに多くのSPレコードを吹き込み内容は東京ネタ限らず上方ネタ、音曲、常磐津まで幅広く残した。
なお、寄席によく通っていた夏目漱石は、「彼と時を同じうして生きている我々は大変な仕合せである」と『三四郎』の中で書いている。
1924年1926年5代目柳亭左楽の後任で東京落語協会(現落語協会)2代目会長就任。
1928年4月に9番弟子4代目蝶花楼馬楽(後の4代目柳家小さん)に小さんの名を譲り、自らは引退した。
最晩年の1923年頃からは脳軟化症による認知症を発症したために同じ噺を続けてしまう、別の噺が混ざってしまうなど悲惨な姿を人々の前に出していた。1929年には自宅を出たまま行方不明になり、翌日世田谷の公園で発見された時には子供と遊んでいる姿が新聞に記載された。
1930年11月29日死去。享年74。墓所は4代目橘家圓喬と同じ東京目白の雑司ケ谷・法明寺にある。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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